会長ご挨拶
日本火薬工業会は、去る5月26日(木)にアルカディア市ヶ谷において第75回定時総会を開催し、令和3年度の事業報告書及び収支決算書類並びに令和4年度の事業計画書案及び収支予算案を決議致しました。ウクライナ情勢の長期化等の影響で経済状況が混沌とし、会員各社もご苦労が続いていることと推察致しますが、当工業会と致しましては、令和4年度計画を着実に進めて行くことで皆様のお役に立つことがその役割であると考えております。
新型コロナウイルス感染の状況は、まだ安心して大人数での会食ができる状況ではないことから、誠に残念ながら、令和2年、令和3年に続いて今年も総会後の懇談会の開催を中止とさせていただきました。長い間、会員及び関係先の皆様方と対面でお話しすることができない状況が続いておりますが、引き続き当工業会へのご支援・ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。
さて、令和3年の産業用爆薬及び電気雷管出荷量は、共に3年連続で対前年を下回りました。リニア中央新幹線工事の本格化の遅れが予測通りの需要回復に至らない第一の理由ですが、新型コロナウイルス感染拡大による全体的な景気低迷の影響もあったものと考えられます。
令和4年の需要予測は、いよいよリニア工事の本格化により反転上昇する予測と致しましたが、昨年から続いている原材料価格の高騰や需要予測策定時には想定していなかったウクライナ情勢の長期化が、どのように今後の需要に影響するか予断を許さない状況です。4月までの出荷状況は、爆薬については対前年同期比を2%強上回っていますが、電気雷管は約2%下回っており、まだまだ回復感が感じられる状況にありません。一日も早く国際情勢、経済環境が安定化し、需要が好転することを期待する次第です。
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爆 薬 |
電気雷管 |
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出荷量 |
前年比 |
出荷量 |
前年比 |
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令和4年予測 |
32,580トン |
105.6% |
770万個 |
113.8% |
令和3年実績 |
30,848トン |
97.5% |
677万個 |
89.0% |
令和2年実績 |
31,635トン |
95.7% |
760万個 |
97.7% |
令和元年実績 |
33,057トン |
96.1% |
778万個 |
93.5% |
さて当工業会では、日本国内における火薬類の保安の確保を目的として、書籍の出版を行っております。
毎年発行しております「火薬類取締法令集」につきましては、5月30日付で令和4年度版を発刊いたしました。昨年10月15日付で公布されました、消費の技術基準の性能規定化に伴う改正省令及び付随する例示基準につきましても収載されておりますので、関係各位におかれましては、最新法令の確認にご活用いただければ幸いです。
また、「火薬類取締法令の解説(通称:赤本)」につきましては、学術界、関係団体及び経済産業省のご協力の下、一昨年より改訂に向けた準備作業を開始しております。今後予定されている、貯蔵の技術基準性能規定化に伴う改正省令が公布されましたら、できるだけ早期に改訂版をお届けできるよう準備を進めてまいります。
また、火薬類製造保安責任者試験の受験準備講習としてご好評頂いております「火薬類の製造と保安に関する講習会」につきましては、8月1日~3日に開催予定です。保安担当者の後継者育成等にお役立ていただければ幸いです。
当工業会は、令和4年度も会員の事業に共通の利益を増進し、火薬事業の健全な発展を図ることを目的として、「保安の確保」、「技術の向上」、「人材育成」、「規制緩和」、「業界の諸問題」という5項目の課題を掲げ活動していきますので、皆様のご支援を宜しくお願いいたします。
最後になりますが、会員各社及び関係各位の益々のご発展を心よりご祈念申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。
令和4年6月
日本火薬工業会
会長 宮道 建臣
日油株式会社 代表取締役社長
昭和15年6月、当時の火薬製造会社13社は、共同出資して日本火薬工業組合を設立した。昭和16年、太平洋戦争に突入し戦時統制が更に進展するにつれ、日本の全産業は統制下に置かれた。終戦後、全産業の統制は解かれそれぞれの産業が独自に自由経済への道を模索し始めた。
戦時統制が強化されるにつれ、昭和17年4月、日本火薬共販株式会社と 日本火薬工業組合は合体して日本火薬統制株式会社を設立し、資材の確保、製品の販売の両面を取り扱うことになった。更に戦局が進展するにつれ、日本の全産業をより強力な統制下に置かなければならなくなり、化学工業関係全体の統制機関として化学工業統制会が出来、火薬工業はその第三部会火薬部に属し、そこで生産計画、資材の割当て及び製品の配給割当てを行うようになった。そして昭和19年3月、統制会社令に基づく統制会社となり、社長も化学工業統制会第三部長が兼務して終戦に至った。
日本火薬統制株式会社は昭和20年末GHQに対して、日本の産業火薬類生産再開に関する陳情書を提出する等終戦後の火薬業界のため極めて重要な活動をした。その後も火薬統制会社は業界を代表してGHQとの折衝に当たり、火薬類の生産割当て等の仕事をし、火薬産業が終戦後の混乱からいち早く立ち上がることが出来るよう努力した。
昭和21年9月、日本火薬統制株式会社は、他の統制会社と同様にGHQから解散を命ぜられたので、日本火薬販売株式会社を設立して販売面の仕事を、日本火薬工業組合を設立して資材の割当申請等をすることとなった。この頃は制度の変更が激しく、昭和22年3月、日本火薬販売株式会社は閉鎖機関となり、続いて火薬類は指定生産資材に指定されたので、日本火薬工業組合も昭和22年7月に解散して、火薬類の受給割当、資財の割当は商工省の化成課が行うことになった。しかし、仕事の実務面は、火薬製造会社が昭和22年4月に設立した火薬懇話会がこれに協力した。ところがこのような会が配給業務等に携わることは、独占禁止法上問題があるとのことで、昭和23年4月に火薬懇話会も自粛解散しなければならなくなったので、これに代わるものとして昭和23年5月火薬業界は事業者団体令に基づいて日本産業火薬会を設立した。
平成2年5月、日本に於ける火薬類に関する唯一の事業者団体であることを明確にする趣旨で「日本火薬工業会」と名称を変更した。
火薬工業の発達に必要な事項について調査研究し、業界の公正な意見を明らかにすると共に、会員相互の親睦、連絡及び啓発を図り、会員の事業に共通の利益を増進し、本工業の健全なる発展を計ることを目的とする。